2022年12月04日
_ [private] 亡き同級生達
既に齢63となり、同い年で同じ学校で暮らした同級生たちの訃報を時折知る。祖父は私の歳にはもう亡くなっていたから、昔ならそう珍しい事でも無いだろうけど、いざ自分がこの歳になってみると、やはり早い様な気がする。
卒業名簿の住所に今もそのまま住んでいるのは、私ぐらいなんだそうで、年賀状のやりとりがある数名以外はほぼ音信不通。単に知らないだけ、かも知れない。まぁ結局私などに出来るのは、こうやって、文章を書きながらも、昔の彼らの事を思い出してあげるだけ、と言う事になる。
最初はN君ではないだろうか。N君は同じ大学の理学部の物理学科の同級生。共に大学院(修士前期課程)も行った。彼とは大学院の研究室は違ったけれど。特別仲が良かったと言うわけでは無いが、どういう経緯か定かでは無いけれど、大学院の卒業式の後で、確かSさんと3人で喫茶店に行って話した様に記憶する。ほぼ、学生最後の日だったかと、。彼はSONYだったかに就職が決まっていて、キューブメモリの話をした様な気がする。
それから、多分1年少しした頃、私は和菓子屋の製造課で工場で働いている最中、呼び出しの電話がかかって来て出ると、やはり同じ学科の同級生からであって、N君が海で死んだとの連絡だった。葬儀に行こうという誘いだった様に思うが、私も当時は結構いっぱいいっぱいで他に余裕は無かった事も有り、仕事中でもあり、断った。
N君は、いかにも理学部の様な真面目な感じの奴だった。一流企業に就職し、色々な研究や開発も出来たろうに、とても若くして海で亡くなった。私は、以来、プールには行くが、海水浴には行った事が無い。
Kさんは小学生の時の同級生だ。小学校は2クラスあったが、同じクラスになる事が多かった。皆同じ中学に行くので、中学の同級生でもあるはずなのだけど、中学校はクラス数も多く確か同じ組になった事が無かったと思うので、中学の時の記憶は全くない。
地元に帰ってきてから、かなりして、40過ぎた位の時か、地元の何かの会で久々に会った。Kさんは何か農家の代表みたいな感じだった。名字は代わっていなかったので、婿養子でももらったのかも知れない。ごく簡単な挨拶しかしなかったと思う。その会も、それ一回きりだった。
それから数年後、地元新聞の死亡欄で名前を見た。何かの間違いじゃ無いかと、何度か良く見直した、昔と同じ名前、年は私と同じ。
Y君は高校の同級生だ。確か、クラスは一緒になった事は無い様に思う。でも何かの授業で一緒だったのか、顔見知りであって、確か2年生のある日、学校の校舎間の渡り廊下で、「ねぇねぇ、合唱部入らない?」と私を合唱部に誘ったのは、合唱部の部長だったY君だ。
歌うのは嫌いでは無かった私は、誘われるままに合唱部の練習に参加し(最初の頃は、エキストラとして参加)、そのまま高校の定期演奏会や合唱コンクールなどに出た。夏休みなどは、ほぼ毎日学校に行ってその為の練習をした。皆で歌うのは楽しかった。東京の大学に行ったが、大学の合唱部はちょっと怖いので入部はしなかったけれど、大学院に入る頃に、社会人の合唱団に入れてもらい、年2回の演奏会や第九の合唱で参加、その後地元に帰るので退団したものの、誘っていただいて六男でまた歌う様になり、今度はサントリーホールや海外公演に参加させていただき、、と続く。
不器用で楽器を扱うのが苦手な私には、音楽は合唱しか無かった訳だけど、兎に角きっかけは、あの時のY君の一声だったと思う。Y君はその後、音楽の道に進み、高校の音楽の教師になった。私たちの母校にも、音楽の先生として長く赴任していて、その頃、私の所に、卒業生からのメッセージという事で、年に1度出る学校誌への寄稿の要請がY君から有った。私は、昔の事を思い出しながら原稿を書いて、学校の彼の所に持っていった。
その頃から年賀状のやりとりをしていたのだけど、何時だったか、体調不良の為に教職を辞めた旨の連絡があった様に思う。年賀状も来なくなった。少し後からになるけれど、Y君はそれからまもなく亡くなった様だ。まだ五十台、そういえば、我々が高校時代、熱心に指導してくれた音楽のK先生も、比較的若くして亡くなった。Y君はK先生の後を追いすぎの様にも思える。
K君は小学生の時の同級生。小学校卒業以来、合った事もないし話した事も無い(たぶん)。クラスの中でもちょい悪い方の同級生だったが、そこは田舎の小学校、たちの悪い不良と言う訳でも無く、付き合いはほぼ無かったが、別段嫌っていた訳でもなかった。昨年の今頃、夜中に、町内で火事の知らせが報じられた。
翌日の新聞で、K君がその火事で行方不明と知った。後で、同級生に会った折りにその事を訊くと、酒ばかり飲んで一人で暮らしていたらしい。同じ町内ではあるが、どういう生活だったかも、全く知らない。ぼぼ全焼したその家は、一年以上経つ今も、焼け焦げたそのままで放置されている。
S君は、同じ大学の同学年だった。学部も違うので、一緒に勉強もした事もないし、学内で会った事もあまり無い。なので、厳密には同級生と言うわけでは無い。実は、古くからの取引先で、親どうしが知り合いであった。互いの親どうしの付き合いは詳しくは知らないが、お互い主要な取引先では無い事もあってか、傍目からは単なる知り合いとして仲が良かった様に見えた。
S君とは、お互い大学院を卒業したあたりから、良く一緒に食べに、また飲みに行った。学部は哲学科で、大学の美術部に入っていた。一面、さもありなんの芸術肌ではあったが、おっとりとした面もあって実に気のいい良い奴だった。そういう意味では、やはりお父さんに似ていたかも、だ。私が地元に帰ってからも、東京に出る時には必ず連絡し、数人でレストランに行って飲み食いしてた。単純に楽しかった。私の結婚式にも来てもらった。30過ぎて、時折、観光目的では無いロシアとか東欧とかの、あまり日本人が行かない様な所に何度か旅行したみたいで、絵はがきも時折届いた。
それから、40を過ぎ何時ぐらいからだろうか、徐々に疎遠になっていった。東京に出る時、何度か一緒に食事をしようと誘ったのだが、何かしら理由をつけて断られる様になった。こちらも次第に無理に誘わなくなった。こちらはずっと出していたが、年賀状も来なくなった。
時期がどう重なるのか、あまり定かでは無いが、彼のお父さんがアルツハイマーになっていたのもその理由の一つかも知れない。お父さんはその後ガンがみつかり、お見舞いに病院に行ったのを記憶しているし、それから暫くしての葬儀にも参列した。
その後も、誘っても来ないので、様子見で、東京に出た時、こちらから彼の店に出向いていった事が数度ある。最初訪問した時は、丁度S君は店にいて、暫く話しはしたけれど、それきりだった。夜一緒に、と誘った様に思うが、一緒に食事をする事は無かった。何時だったかは、近くの自宅に行って所蔵本を見せてもらった。フロア全部を占める写真本や美術書の多さにびっくりした。5、6年ほど前だったろうか、会ったのはそれが最後だった。
取引先でもあるので、以後、電話で何度か話した事はあるように思うがたいした話はしない、長話も無い。そしてコロナの行動規制だ。お互い60も過ぎて、またゆっくり東京に出られた時は、久しぶりにS君に会いに彼の店を訪ねる気満々だった。そして先日、年賀欠礼のハガキが届いた。こちらからは出しているがS君からはずっと来ていないけど、と思って良く見たら、お母さんとお姉さんからだった。今年の5月に亡くなった由。文面からは、何かの病気で昨年に余命宣告されていた様だが、詳細不明。
「また会って、一緒に食べて飲んで話しして、そして楽しく騒いで」と若い時やってた様な事をまた、と思っていた。できると思っていた。私は、良い友達を無くしてしまった。奴の方は本当の所どう思っていたか知らないけど、、まぁ、もう居ないんだから、こちらで勝手にそう思っても構わないだろう。
2022年12月18日
_ [misc] ペリカン 40YEARS OF SOUVERAN
この度、かなり高価な万年筆を買ってしまいました。「ペリカン 限定万年筆 40YEARS OF SOUVERAN」と言う、ペリカンの限定物です。
つい1年程前までは、高級万年筆なんて、まったくの趣味の範囲外だったのですが、、
具体的な経緯としては、概ね以下の[a]から[e]まで通り、、
[a]蔵の建て替えに伴う片付けで、高校入学祝いの万年筆が出てきた。それに加えて、最近字を書くのに時折難儀をする事があったので、少し字を書く習慣も必要かと思いだした。
[b]出てきた万年筆で何か書いてみるか、と言う事で、まずはフランス語の詩、ノストラダムスとエリュアールの幾つかの詩を書いてみた。他にも、興味があった外国の詩の原文を翻訳しながら、万年筆で書く。30年以上前に買ってそのままになっていた、便箋やノートなどが結構残っているので、その用紙の使用目的にもなる。
作者は、ノストラダムス、ポール・エリュアール、から、エドガー・アラン・ポーに、そしてイェーツにまで広がる。
[c]昔からの手持ちの万年筆のパーカーやシェーファーだけでは無く、万年筆一般に興味が出て、まずツイスビーと言うメーカーからスタブのペンを見つけ、購入。昔からカリグラフィーには興味があって、カリグラフィーペンも持っていたから。
[d]比較的安い万年筆を、アマゾンなどから購入したり、その内、オークションで出品を見るようになり、落札も検討。色々、見ていると、アウロラのとてもとても気を惹く美しいペンを見つけたのだけど、約13万と、とても高く問題外。
各メーカーの万年筆について、Webの記事とか、雑誌とかで色々見てみると、ペリカンの800が評判が良い。調べると、買えない価格でも無い。それで、限定品ながらもまだ商品在庫があった、ストーンガーデンを購入した。
他にも、数万円位の気になった万年筆をショップから買ったり、またオークションで落札もしたけれど、実際に手元に来た物を見て、落胆する事も結構あった。
[e]アウロラのペンがどうしても気になって仕方が無いので、ついに買う事にした。緑の、アンビエンテ・ジュングラだ。ペン自体はとても気に入った。これに味をしめ、と言うか、時折高級万年筆をネットで購入。また中古ででも幾つか購入。本数が増えてきたので、アマゾンでペンケースを購入。これは中国製の粗悪品で、如何にもいい加減な作りの、精度が悪い出来の悪いケースだけど、少々手直しして使用中。
、、と言うわけで、現在万年筆は20本以上、イェーツの「アシーンの放浪」をゆっくりゆっくり翻訳&書写中。今、BOOK2(所謂第二章)の終わりのほう。万年筆に関しては、実用品としての購入でコレクションするつもりは全く無いし、これ以上持っていても使えないので、少し前から、もう打ち止めにしようかな、と思っている。
そんな中、つい先日、本屋で文具雑誌を立ち読みしてて、ペリカンの限定万年筆発売の記事と写真を見て、全く自分の好みの万年筆で惹かれてしまった。でも26、7万円と、今まで買ってきたペンの数倍と、価格域が全く違います。でもまぁ、これを最後にしようと、とりあえず、すぐ検索するとあちらこちらで既に完売済みになっている(高価なのに、結構驚きです)。まだ売っているところを見つけて、信頼できるショップである事を確認して、注文。本日届きました。
万年筆をコレクションしている人は結構多いみたいだし、実際メーカーも装飾過多なコレクション用としか思えない、高価な限定品を良く出しているみたいだが、私は使う為に買っているので、27万円程のこの40周年記念ペリカンも、届いてすぐインクを通してみました。
以前ストーンガーデンを買った時は、F(細字)だったのだけど、並の中字より太い位で、ちょっと吃驚したし、逆に、セーラー21金のFの時は、細すぎて殆ど使わなくなってしまったりと、なかなか難しい。初めてのメーカーのペンを注文する時、FにするかMにするか、かなり悩むのが常。でも、この40周年記念ペリカンはMしかないので、その点は楽です。
ショップに人と話しても、外国の万年筆は個体差が結構大きいらしいので、最初はちょっと緊張しましたが、丁度良い感じで一安心。もしかしたら、ストーンガーデンのFと同じくらいかな。私は、手で持つ所が金属製で、重心が下にあるペンを好みとしていますが、ペリカンの通常品は全ての樹脂製です。この40周年記念限定品は、ゴールドプレートの金属製で完全に好み。それもあってか、この万年筆は最初からとても書きやすく、流石に良い万年筆かと思います。