2021年07月13日
_ [private] 「 手」
多かったワインネタも、多くがヴィニカに移った事も有り、今後はごくごくプライベートな備忘録も、ここに幾つか書く事にしようと思う。最も、そんな事はいちいち文章にしておかなくても、解ってる憶えてるモノだけれど、既に62歳、なんか忘れてしまいそうな気がするので、、
「手」、自分の手、手の甲、お風呂に入ってよくよく見てみると、シミとかもあるし、そうで無くてもまだら色、キレイじゃ無い。
何時だったか(20年少し前?)、言った父親も憶えていないだろうけど、「こんな手になってしまった、と、お父さんが良く言っていたなぁ」と、私に言った事があった。そんな風な事は殆ど言わない父親なので、逆に私は良く憶えている。
その時は、私の父も自分の手を見てそう思ったのだろう、しかしそんな事を言ったのは、その時だけである。祖父は、私の今の年齢くらいで亡くなっているし、父がそう言ったのも60歳台だったろう。
そして今、そう言われた事を憶えているからでもあるからだろうけど、私も同じように思ったりする。でもまぁ、口には出さないだろうけど。
2021年07月22日
_ [music] 昔のレコード店と店員さん、、
学生時代からその後の東京在住時代を通じて、暫くはLPを、それ以降はCDになりますが、以前はLPやCDなどの音楽メディアを沢山買っていました。
東京に居た時には、よく秋葉原に行っていまして、そこで石丸電気のレコード館(本館ではなくて、確かクラッシック専門の細長いビルの店舗があった)に良く行きました。秋葉原で初めてレコード館を見た時、ビル一つがレコード専門館(それもクラッシックなどのジャンル特定!)である事に、本当に吃驚しました。学生なので、普段は何枚もは買えないけど、それでも、ついつい無理して廉価盤を3枚とか買ってしまったら、結構興奮して帰路についていました。
地元に帰ってきてからは、長岡さんの記事の影響も有り、外盤に手を出すようになりまして、時折東京に出ますと、石丸本店の方に何時も行く様になりました。およそ午後全てを使って、あの広いフロアを探索します、いやぁ、今思い出しても楽しかったですねぇ。
石丸本店の輸入盤レコードコーナーは、私はクラッシックのエリアしか知りませんが、品揃えも凄い物ですが、当時の店員さんの知識にはまさに驚くべきものがありました(レコード館の店員さんも同じです)。少し話しただけでも、色々な情報がすらすらと、、国内盤でもないのに何でそんな事まで知っているのかと、吃驚する事度々でした。
確かに昔の話ではありますし、その後ビルも何度も名前が変わったと思いますが、何と現在、既にその「石丸電気」の名前がどうしても出てこなかったのです!!。色々検索してみて、やっと名前を思い出す始末、、なので、関連事項などを備忘録に記載しとかなければ、で、今日のこのタイトルとこの内容になった訳です。
東京在住時代後半からも、近くだったので時折行っていたのが、六本木WAVEでした。時代はLPからCDに変わり始めた頃でして、最初の頃はLPが主だったと思います。
六本木WAVEでも、私は主にクラッシックのエリアしか知りませんが、当初、ここは陳列の並び方がジャンル別では無く、何とレーベル別でした。これはとても画期的でして(他に同じような事例は無いと思われます)、私みたいに何時も輸入盤を買っている人には、好みの盤を探すのには、レーベル別が非常に有り難いのです。
ただ、ふつーにレコードを買いに来た人は、やっぱり困るでしょうから、暫くしたら、良くあるジャンル別の並びになってしまいました。後で、「レーベル別の方が良かったんですけどねぇ」と、一度だけ当時の店長さんと話しましたが(多分、この方がレーベル別にしたみたい)、やはり問題があったので普通に戻したらしいです。この方も、もの凄く良く知っている感じの方でした。
LPはサイズが大きいし心情的には取扱注意品だったので、気軽に買うのはちょっと難しかったのですが、CDの時代になってからは、割と何処でも気軽に買えるようになりました。学生時代最後、初めてフランスやドイツに行った時に、マーケットのレコード売り場もなども興味本位で見たみたのですが、見ると欲しくなるものですが、LPは2、3枚、EPはもう少しに、なんとか抑えて、大事にスーツケースに入れて帰りました。
その後のCDの時代にはそういう配慮も無く、何時だったか、ある会で海外行った時など、ドイツだったかの百貨店のレコード売り場に行った時、珍しいCDを沢山発見し、それならば、と持参して帰る事を諦め、数十枚買い込み、ホテルから荷物にして発送した事があります。(いっぱい買ったものだから、レジで会員登録してくれと頼まれました。国外の者だから、と言ったのですが、それでも良いと言う事で一応登録したのだけど、やはり何も無かったですね)
地元では、そもそも大きなレコード屋が無かったので、あまり買わなかったのですが、その後市内のパソコンショップで、近くのレコード屋さんと知り合いになりました。そこで、お友達と言う事で、新譜を定価より若干安く譲ってももらえる事になりました。
このレコード屋さん、お店はとても小さいのですが、割と人が集まって座り込んでよく店長と話していまして、まぁ音楽好きのたまり場的だった様な記憶が有ります。私も、レコード芸術が発売された後、市内に出た時は店に寄って、そのレコ芸の新譜広告ページを頭から読みながら、気になったCDをその場でどんどん注文する、、って事を長らくやってました。そんな感じなので、毎月何十枚もの新譜CDを買っていました。
その内、レコ芸にサンプラーCDが付属する様になりましたが、私にとって、ごく一部さわりしか聴けないこんな付録に何の意味も感じなかった事も有り、余計な物が付いてくるのが厭になり、それに多分新譜を追いかけるにも疲れてきたのでしょう、レコ芸も次第に買わなくなりました。その内、レコード屋さんの彼も、何年か後には、お店を閉じてしまい、それに従い定期的にCDを買う事も無くなりました。
_ [music] 付記:購入レコードCDの変遷
上に、レコード店の事などを書いたので、付記として、そこでどの様なLPやCDを買ってきたか(どの様な基準で選んでいたか)、思い出して書いておく事にします。ごくごく個人的な思い出話です。
初めて買った(買ってもらった)レコードは、「新世界&未完成」でした。小学か中学かそこらの頃、何処でその名を聞いたか「未完成交響曲」ってのがやたらかっこよく思えて、是非聴いてみたくて、父親にねだって買ってもらいました。市内の、今は無き百貨店のレコード売り場です。その時何故か選んだのが、ピエール・デルヴォー指揮、コロンヌ管弦楽団の新世界と未完成のカップリングのLPです。
いやぁ、ちょいレア盤ですね。以後一度も見た事がありません。まず、LPで新世界と未完成のカップリングもそこそこ珍しいですが、デルヴォー盤は割とレアかと。Pデルヴォー自体はそこそこ有名でして、どっかで集成CDも見た事があります。
このレコードはとても気に入りまして良く聴きました。聴いてみてむしろ気に入ったのは「新世界」の方でした。ただこのLPが、私のクラッシック音楽の原体験でして、それがフランスの指揮者と管弦楽の演奏だったのは、もしかしたら以降の好みを若干左右したかもしれません。ここで、カラヤンを聴いていたら、好みはがらっと変わっていたかも、、
高校生あたりから学生時代、昔は、バロックから古典、ロマン派あたりまで、普通のクラッシックファンだったのですが、知識が増え買う枚数が増えてきますと、買うのはほぼ廉価盤でした。アンセルメなんかは、この頃廉価版でずいぶん聴きました。そんな折、上述の石丸電気のレコード館で、ふと、イギリスの中世ルネサンス時代のLPを買いました。確かこれも廉価版の冴えないジャケットで、加えてそれまでほぼ聴いた事の無いジャンルのLPだったですが、何故か無性に強く惹かれて、かなり迷った後に買った記憶があります。
それ以来、いきなり古楽の割合が増えました。古楽でも、バッハやヘンデルなど有名なバロックは何時でも買えると言う事で後回し、それ以前の中世ルネサンスや初期バロックにはまりまして、モンテヴェルディ好きになったのもこの頃からです。
その後、外盤を見に行く様になりますと、以前からその傾向はあったと思いますが、LPの買い方はほぼ「ジャケ買い」になりました。まぁLPを探索した人は知ってるでしょうが、トントンとLPを引き上げて見ていって、時折目に付いたジャケットの詳細を読んでみる、、って感じです。ですから私は、グラモフォンの、あのジャケットの上1/3を占めようとする、でかい黄色い額縁のLPが大嫌いでした。LPでは、内容関係なく相当特別な理由でも無い限り、買わなかったと思います。
CDにメディアが変わりますと、あまり表表紙(カバー)にはこだわらなくなりました。新譜とか話題のCDなどは、レコ芸の広告などを見て少しでも興味を引く物があれは、地元のCD屋さんでどんどん注文していましたし、東京とかの大きなお店に行って探す輸入CDでは、「ぱっと見、良く知らない珍しそうなCDは、とりあえず買っておく」と言う、とんでもないコンセプトで買っておりました。殆どが、一度ちょっと聴いた後、そのまま棚行きなのですが、時折とても面白いCDに当たる事があるので、何か止められずにいました。暫くしてとても話題になった、ブルガリアンヴォイスとか、グレツキとかは、とても評判になるずいぶん前に既にCDで聴いていまして、「これ、当たりだぁ」とか思っていました。
田舎で自宅住まいと言う事もあり、お金の使い先と言えば、主にCDと本を買う事だけしか無い感じなので、CDは兎に角あまり躊躇せず買っていました。なので、一時期、年間500枚くらいは買っていたと思います。まぁ、1日1枚より多くなると流石に聴かないのも出てくるので、少しお腹いっぱい、以降、ワインも買い始めた事も有り、次第に減ってゆきました。しかし当時のレコ芸でのアンケートの集計記事では、年間CD購入枚数で、800枚とか千枚以上とかの人が結構居たのには、実感として驚きですね。
それから45か50歳位まででしょうか、当時は、良く判らない珍しそうなCDを見ますと、「今買っておかねば」と思い、判らないままとりあえず買っていました。バッハやベートーベンを始めとする、著名作曲家の著名曲は、「何時でも聴く事が出来る!」と思っていまして(人生ずっと長い様な気がしていた)、レアな作曲家、レアな作品のCDを一番に買って、聴いていました。(そのつもりでした、でも今になって棚を見てみると、実際は、有名作曲家の曲も結構買っていますね、当時の話題盤ってものでしょうか)
それが最近、徐々に方針転換です。もう先を考えると、まだ充分に聴いていない有名曲を聴いておかないと、これはもう勿体ないです。でも、なんやかんやで、大概の有名曲は一度かそこらは聴いて居るみたいで少しは耳馴染みですが、やはり、一般に有名な曲は本当に良い音楽です(当たり前ですが)。あまりレアなものばかり追いかけず、評判の良い曲を選んで聴いていても良かったのかなぁ、、なんて、少し思います。
バッハのロ短調なんか、以前一、二度聴き流した頃はサンクトスのバスが格好いいとか思ったぐらいでしたが、自分で歌うとか(ツアーは中止になりましたが)の為に何度か聴き直しますと、本当に「何たる素晴らしい名曲!」と思うばかりで、今頃になってやっとそれを知るというのは、やはり少々残念な気もします。
もう、殆どCDを買いませんが、買うときは、この間買ったアンセルメ全集の様な、定番ばかりです。
2021年07月26日
_ [computer] マシン語をいきなり書く人
特に話題が無くても、思い出や昔話を書き留めてもどうにもなんないよなぁ、って思ってはいたものの、もしかしたら本格的に忘れてしまうかもしれないので、、
今週のジャンプをコンビにて立ち読みしてみたら、プログラムをいきなり16進のマシン語で書く人が出てきました。
まぁ、マシン語って当然ながら処理系依存なので、どの処理系(CPU)を考えて居るのか不明です。ファミコン作るって書いてあったので、6502かなとも思いますが、まぁ、マンガなので、、
マシン語でいきなりプログラム書く人、大学1年の時、本当に見ました。
その年から出来たばかりのコンピュータ研究会で、主に先輩の2年生と我々1年生だけ、部屋をもらっての初めての大学祭への出展。展示は、まぁ高校生とあまり変わらない様なモノだったけど、先輩が今は誰も使っていないミニコン(TOSBAC10、当時でさえ古い機種らしい)を見つけてきて、展示室に運んできました。でかい書類キャビネットぐらいの大きさで、定格電源が1.5kwなので、コンセントから取れないと言う事で相談したら、有り難い事に大学側が電気屋さんを呼んで対応してくれました。
この時分のミニコンと言っても、図体がでかいだけで、処理能力は当時人気だったマイコン、TRS80より低いかも知れませんし、ともかく詳細は不明です。
それよりもまず、動かない、まずどうやって動かして良いのか判らない。ASR33が付いていたかどうか憶えていませんが(現在に至ってまでこの型番を覚えている事において、多分隣にあってASR33で操作したのでしょう。当時でも既に古典的な機器の筈です、以後見た事無いと思うし)、OS(らしきモノ)が紙テープで付属していまして、そもそもこれも読み込めない。
展示1、2日は置いておくだけだった気がしますが、そんな日の夕方、米田先生が大学祭の展示を訪ねていらっしゃいました。昨年まで大学にいらして、今は東大に移られたその方面ではとても有名な先生です(私でも知っていたくらいですから)。このミニコンは、先生が大学にいらしたときに、ご自分で使って居た物らしいです。
先生、いらっしゃると、いきなり紙に16進を書き始めました、長さは違いますが全く今回のマンガのようです。どのくらい書かれたか良く憶えていませんが、先輩に渡して、これ入力してみて、と言います。部長の先輩は、フロントパネルのビットキーとペチペチやって、該当の16進数をいれて、エンターキーを押す。それをずいぶん繰り返して全部のコードを入れ終えました。でも、紙テープを読みにいかない、動かない、、。
動きませんと先輩が言うと、先生は、「ほんとにちゃんと入れました?」と言う事で、先輩が入力データを頭からチェック。ここ間違えていました、と言う事で訂正すると、今度は、ピューっと紙テープを読み込んで動いた事が判りました。先生が書いたのはブートローダーだと思うのですが、幾ら昨年まで手元にあったミニコンとは言え、そらで16進プログラム書いて動かすなんて、もう「すげぇ!」の一言です。目の前で見ると本当に驚きでした。
確かに当時はアセンブラでプログラムを書く事も結構有りまして、私もその後、6809でしたら少し書いてましたし、もう少し後には、詳細は内緒なのですが09の逆アセンブルしたコードを色々解析した事もあります。その結果、バイナリエディタ等で、直接16進を変更した事も有りますが、コマンドに対応するコードを覚えていたのはnop(ノーオペレーション)くらいですね。先生は多分、そのミニコンのアセンブラコードを全部覚えていたのでしょう。16進コードがそのままアセンブラプログラムに見えたのだと思います。当時としては決して不思議な事では無いかも知れませんが、それにしても、初めて目の前で見た学生には、あまりにも衝撃的で、また40年経っても忘れる事の無い印象的な光景でした。